事故の3年後に発病した精神障害が、労災と認定された裁判例を紹介します。
名古屋高裁令和3年4月28日判決
労働者が、会社の工場における業務に従事中の事故によって、左眼を負傷した事案です。
左眼を負傷した事故をきっかけに、精神障害を発病したとして、労災請求しましたが、労基署長は労災と認めませんでした。
事案の概要
原告は、平成24年10月17日、勤務先の工場内でオペレーター業務を行っていた際、原告の左顔面が同工場内の取出機のチャック板と成形機の間に挟まれるという事故に遭い、左眼を負傷した。Xは、以下の労災保険給付を請求した。
①平成26年6月1日から同年10月31日までの期間、左眼の負傷の療養のため労働することができないことを理由とした休業補償給付請求
②心因反応(神経症性うつ病)を理由とした療養補償給付請求
③平成28年3月1日から平成29年3月31日までの期間、心因反応(PTSD)の療養のため労働することができないことを理由とした休業補償給付請求
①については、通院日のみ休業補償給付を支給が認められた。
②・③については、精神障害の発病と業務との間に相当因果関係が認められないとして、不支給決定がなされた。
事案の詳細
原告は、平成24年10月17日の本件事故後、直ちに、市民病院に入院した。原告には、その際、左眼瞼腫脹、眼球突出、閉瞼できない、左頬骨骨折、眼窩底骨折、頭蓋底骨折等の所見がみられた。原告は、左眼球破裂の疑いがあることから、平成24年10月19日、市民病院において手術を受け、その際、左強膜裂傷が認められたため、縫合術を受けた。
原告は、平成24年10月23日、名大病院に転院し、左眼球破裂、左網膜剥離、左脈絡膜剥離、左毛様体剥離、左硝子体出血、左水晶体脱臼等と診断された。原告は、平成24年10月24日、名大病院において、左硝子体手術を受けたが、術中、激しく疼痛を訴え、点滴により痛み止めを投与されたものの、効果がなかったため、医師は、手術の続行は危険と判断し、手術を終了した。原告は、手術終了後も断続的に左眼の疼痛を訴え、鎮痛剤を使用するなどした。
原告は、平成24年11月6日、名大病院において、左硝子体手術及びシリコーンオイル注入術を受けた。原告は、その後も左眼の疼痛を訴え、鎮痛剤を使用するなどした。
原告は、平成24年11月19日、名大病院を退院した。
原告は、平成24年11月20日から平成25年5月12日までの間、市民病院及び名大病院に経過観察及び点眼薬の投与等のため、通院した。
原告の左眼矯正視力は、平成24年12月10日に0.01であり、平成25年12月12日及び平成26年4月17日には0.02になったものの、同年8月28日には30㎝先の手の動きがようやく認識できる程度となった。その後、原告は、左眼について、平成28年2月29日に光覚弁(明暗の分別ができる程度の状態)で症状固定した旨の診断を受け、これを理由として、労働者災害補償保険法施行規則別表第1の障害等級8級1号に該当するとして、障害補償一時金の支給決定を受けた。
原告は、平成13年11月12日から、アルコール依存症及びアルコールの過度摂取によるうつ症状の治療のため、P1医師の診察を受けていた。
原告は、P1医師が作成した平成23年5月3日付け診断書に基づき、その頃、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律による精神障害者保健福祉手帳の交付を受けた。
原告の症状は、本件事故時点では、就労に支障がない程度の状態で安定し、通院も月1回程度、各回の診察時間も5分程度で、ほぼ寛解状態にあった。
原告は、平成24年11月19日に名大病院を退院してから平成26年11月17日までの期間、概ね1か月に1回の頻度で、各務原病院に通院し、主にP1医師による診察を受けた。なお、受診時間は、各回30分前後であった。
裁判所の判断
以下のとおり、裁判所は、精神障害の発病を労災と認定しました。
控訴人が平成26年10月29日時点で発病していた本件事故前とは異なる精神障害は、PTSDではなく、適応障害であったと認めるのが相当である。そして、上記発病の主要な原因は、①本件事故前後を通じて通院治療中であったアルコール依存症及びうつ病に加えて、②本件事故による心理的負荷、③左眼の負傷(負傷後の疼痛及び視力の低下を含む。)による心理的負荷、④右眼の視力の低下による心理的負荷、⑤労災保険法に基づく休業補償給付を同年5月31日までの期間に対する支給を最後に打ち切られたことによる経済生活上の不安等の複合であったと認められる。
本件のように、業務上の出来事(本件事故)による左眼の当初の傷病の発生自体は精神障害発症の6か月より前であるが、左眼の症状が精神障害発症当時も悪化を続けて苦痛を生じている場合も、除外するのは相当でない。この点は、精神障害の認定基準の補足説明において、「発病前おおむね6か月の間において、当該苦痛等が存在していれば、症状の急変等が生じていることは必要な条件ではない。」とされているとおりである。
そして、控訴人の上記各入院の期間は、合計すれば2か月以上となる上、その間に5回にもわたり観血的な手術を受けたことからして、控訴人の左眼の負傷は、本件事故から適応障害の発病までの時間的間隔の点をひとまず措くとすれば、「(重度の)病気やケガをした」との具体的出来事のうち、心理的負荷の強度が「強」であるものに該当するというべきである。
また、左眼の視力の著しい低下の過程における心理的負荷も、左眼の負傷による心理的負荷の程度を検討するに当たり斟酌すべき事情である。
本件事故による相当強度な心理的負荷のみをもって、直ちに適応障害の発病の業務起因性を認めることはできない。しかしながら、控訴人は、以前のような仕事を続けることは到底不可能になるような左眼の負傷をしたものである。また、控訴人は、適応障害を発病した平成26年10月29日当時も療養の過程にあり、左眼矯正視力も同年4月17日の0.02から同年8月28日には30㎝手動弁まで悪化していたのであるから、その後の症状固定時には障害等級8級1号に該当するような重い後遺障害を残すことになると予想することができ、上記当時、左眼の角膜内皮障害による角膜混濁が増悪して、眼内の状態が非常に悪くなり、P4医師にも違和感を訴えるなどしていたとみられることや、P1医師にも複数回の手術を受けても左眼の視力が改善しないため不安を覚えるようになった旨訴えていたことからすると、左眼の負傷による心理的負荷は全体として極めて強度なものであったとみるべきである。
左眼の視力の著しい低下過程において、控訴人にその後の生活全般への不安等、相当強度な心理的負荷が生じていたであろうことは、容易に推認することができる。もっとも、控訴人は、本件事故の後、平成26年10月29日時点においても、休業を継続しており、社会復帰を果たすことができていなかったものの、眼科医らは、同日の前後を通じて、一致して、控訴人の視力について、両眼視を要する仕事は困難、危険であるものの、片眼視力で従事可能な業務であれば就労可能であるとの意見を述べていたのであるから、控訴人が左眼の視力低下のために社会復帰が困難な状態であったとまでは認められない。ただし、控訴人について、社会復帰が困難な状態であったとまではいえないとの理由で、認定基準において心理的負荷の強度を「強」と判断する例のうち「業務上の傷病により6か月を超えて療養中の者について、当該傷病により社会復帰が困難な状況にあった、死の恐怖や強い苦痛が生じた」には該当しないとしても、これとは別の独立した例示である「長期間(おおむね2か月以上)の入院を要する」「業務上の病気やケガをした」に該当するものである。
本件事故による心理的負荷及び左眼の負傷による心理的負荷は、負傷後の疼痛及び視力の低下も含めれば、控訴人と同程度の年齢、経験を有する平均的労働者にとっても相当強度なものであったというべきであり、とりわけ視力の低下が本件事故から約2年後の発病当時も継続していた状況にあったことも総合的に評価すれば、右眼の視力の低下による心理的負荷を除いたとしても、本件事故と適応障害の発病との間の相当因果関係を認めるに足りる程度の強度なものであったと判断される。このことは、控訴人が社会復帰が困難な状況であったとまでは認められず、休業補償給付の打切りによる経済生活上の不安等も原因として複合していたとしても、否定すべきものではない。また、控訴人の本件事故前からの既往症であるうつ病及びアルコール依存症は、本件事故時点では、就労に支障がない程度の状態で安定し、ほぼ寛解状態にあったから、業務以外の心理的負荷及び個体側の要因により適応障害を発病したもの(認定基準の認定要件における除外事由)があると認めることはできない。そして、適応障害は平成26年10月29日時点で新たに発病した上記既往症とは異なる精神障害であって、本件事故による心理的負荷及び左眼の負傷による心理的負荷は平均的労働者にとっても強度なものであり、業務による強い心理的負荷があったといえるから、相当因果関係が認められるとの上記判断は左右されない。