事業主が労災保険の支給決定に対して取消訴訟を提起できるか?を判断した最高裁判決を紹介します。
令和6年7月4日判決
労災保険の支給決定は、被災労働者の請求に基づき労基署長が行う行政処分です。事業主は、労災保険の支給決定の当事者ではありません。
メリット制の適用を受ける事業主は、労災保険の支給決定に関する被災労働者と国との訴訟について、補助参加することは認められています。
本判決では、メリット制の適用を受ける事業主が、補助参加ではなく、原告として、取消訴訟を提起できるか?が問題になりました。
事案の概要
労働保険料の徴収等に関する制度の概要は、次のとおりである。
政府は、労災保険法による労災及び雇用保険法による雇用保険の事業に要する費用に充てるため、事業主から労働保険料を徴収する(労災保険法30条、雇用保険法68条1項、徴収法2条1項、10条1項)。
事業主は、保険年度ごとに、まず概算額として徴収法15条1項各号所定の労働保険料の額を申告してこれを納付し、保険年度が終了してから、確定額として同法19条1項各号所定の労働保険料の額を申告し、納付した概算額が申告した確定額に足りないときは、その不足額を納付しなければならず、政府は、上記の各申告に係る申告書の記載に誤りがあると認めるとき等には、労働保険料の額を決定し、これを事業主に通知する(同法15条、19条。「保険料認定処分」)。
労働保険料のうちの一般保険料(徴収法10条2項1号)の額は、賃金総額に一般保険料に係る保険料率を乗じて得た額とされており、一般保険料に係る保険料率は、労災保険及び雇用保険に係る保険関係が成立している事業にあっては労災保険率と雇用保険率とを加えた率、労災保険に係る保険関係のみが成立している事業にあっては労災保険率とされている(同法11条、12条1項1号、2号)。
労災保険率は、労災保険法の規定による保険給付等に要する費用の予想額に照らし、将来にわたって、労災保険の事業に係る財政の均衡を保つことができるものでなければならず、政令で定めるところにより、労災保険法の適用を受ける全ての事業の過去3年間の業務災害等に係る災害率その他の事情を考慮して厚生労働大臣が定めるものとされている(徴収法12条2項。「基準労災保険率」)。
その上で、厚生労働大臣は、連続する3保険年度中の各保険年度において徴収法12条3項各号のいずれかに該当する事業であって当該連続する3保険年度中の最後の保険年度に属する3月31日において労災保険に係る保険関係が成立した後3年以上経過したもの(「特定事業」)については、同項所定の割合(「メリット収支率」)が100分の85を超え、又は100分の75以下である場合には、当該特定事業についての基準労災保険率を基礎として所定の方法により引き上げ又は引き下げるなどした率を、当該特定事業についての上記の日の属する保険年度の次の次の保険年度の労災保険率とすることができる(同項)。そして、メリット収支率は、上記連続する3保険年度の間における、同項所定の労災保険法の規定による業務災害に関する保険給付の額等に基づき算出するものとされている(同項)。
原審の判断
原審は、メリット制の適用のある事業主に労災保険の支給決定の取消訴訟を提起する原告適格があると判決しました。
特定事業について、労災保険給付の支給決定(「労災支給処分」)がされていると、これによりメリット収支率が大きくなるため、当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料が増額されるおそれがある。そうすると、特定事業の事業主は、その特定事業についてされた労災支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者として、上記労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有する。
最高裁の判断
最高裁は、メリット制の適用のある事業主に労災保険の支給決定の取消訴訟を提起する原告適格はないと判断しました。
なお、最高裁は、事業主が保険料認定処分に対する取消訴訟等において、労災保険の支給決定が違法だということを主張できることを理由の一つとして挙げています。
行政事件訴訟法9条1項にいう処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうところ、本件においては、特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額の決定に影響を及ぼすこととなるか否かが問題となる。
労災保険法は、労災保険給付の支給又は不支給の判断を、その請求をした被災労働者等に対する行政処分をもって行うこととしている(12条の8第2項参照)。これは、被災労働者等の迅速かつ公正な保護という労災保険の目的(1条参照)に照らし、労災保険給付に係る多数の法律関係を早期に確定するとともに、専門の不服審査機関による特別の不服申立ての制度を用意すること(38条1項)によって、被災労働者等の権利利益の実効的な救済を図る趣旨に出たものであって、特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎となる法律関係まで早期に確定しようとするものとは解されない。仮に、労災支給処分によって上記法律関係まで確定されるとすれば、当該特定事業の事業主にはこれを争う機会が与えられるべきものと解されるが、それでは、労災保険給付に係る法律関係を早期に確定するといった労災保険法の趣旨が損なわれることとなる。
また、徴収法は、労災保険率について、将来にわたって、労災保険の事業に係る財政の均衡を保つことができるものでなければならないものとした上で、特定事業の労災保険率については、基準労災保険率を基礎としつつ、特定事業ごとの労災保険給付の額に応じ、メリット収支率を介して増減し得るものとしている。これは、上記財政の均衡を保つことができる範囲内において、事業主間の公平を図るとともに、事業主による災害防止の努力を促進する趣旨のものであるところ、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額を特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とすることは、上記趣旨に反するし、客観的に支給要件を満たすものの額のみを基礎としたからといって、上記財政の均衡を欠く事態に至るとは考えられない。そして、労働保険料の徴収等に関する制度の仕組みにも照らせば、労働保険料の額は、申告又は保険料認定処分の時に決定することができれば足り、労災支給処分によってその基礎となる法律関係を確定しておくべき必要性は見いだし難い。
以上によれば、特定事業について支給された労災保険給付のうち客観的に支給要件を満たさないものの額は、当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とはならないものと解するのが相当である。そうすると、特定事業についてされた労災支給処分に基づく労災保険給付の額が当然に上記の決定に影響を及ぼすものではないから、特定事業の事業主は、その特定事業についてされた労災支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということはできない。
したがって、特定事業の事業主は、上記労災支給処分の取消訴訟の原告適格を有しないというべきである。
以上のように解したとしても、特定事業の事業主は、自己に対する保険料認定処分についての不服申立て又はその取消訴訟において、当該保険料認定処分自体の違法事由として、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができるから、上記事業主の手続保障に欠けるところはない。