労災保険と損害賠償の調整に関して,前払一時金の猶予について判断した裁判例を紹介します。

東京地裁平成24年3月7日判決

 業務上災害について,使用者が損害賠償責任を負う場合,労災保険法64条1項1号による履行猶予を受けられる範囲が問題になった事案です。

事案の概要

 被告の従業員であった原告X1が脳梗塞等を発症して右片麻痺及び高次脳機能障害等の後遺障害を負ったことについて,①原告X1が,上記疾病は被告での長時間の時間外労働に従事したために引き起こされたものであると主張し,労働契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として,被告に対し,2億0495万6615円(損害金2億2561万1852円のうちの一部)及びこれに対する脳梗塞等発症の日である平成17年10月22日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,②原告X1の妻である原告X2が,被告の上記不法行為により原告X1が重度の後遺障害を負い,そのため妻として精神的損害を被ったと主張して,不法行為に基づく損害賠償として,被告に対し,220万円及びこれに対する同日から支払済みまで同法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた。

裁判所の判断

 被告は,障害補償年金,介護補償給付及び障害厚生年金は,将来にわたり給付を受けるものであり,その限りで労災保険法64条1項に基づき,前払一時金給付の最高限度額1918万3990円(給付基礎1日1万6121円×1190日)の限度で損害賠償の支払が猶予されるべきであると主張する。

 労災保険法64条1項は,障害補償年金若しくは遺族補償年金又は障害年金若しくは遺族年金について,同一の事由に基づき,事業主から損害賠償を受けることができるときの年金給付と損害賠償との調整に関する措置として,1号において,「事業主は,…前払一時金給付の最高限度額に相当する額となるべき額…の限度で損害賠償の履行をしないことができる。」と規定し,2号において,「前号により損害賠償の履行の猶予がされている場合において,年金給付又は前払一時金給付の支給が行われたときは,事業主は,…当該年金給付又は前払一時金給付の額となるべき額の限度で,その損害賠償の責めを免れる。」旨規定している。このように,同項2号は,年金給付の支給を受けた場合には,事業主はその額の限度で損害賠償の責めを免れると規定しているから,同項1号の履行猶予額はその額の限度で減少する趣旨のものと解される。そうすると,同項により,障害補償年金については支払の猶予を認めることができるが,介護補償給付及び障害厚生年金は同項に規定されたものではないから,支払の猶予を認めることはできない。

 障害補償年金の前払一時金最高限度額は1918万3990円である。原告X1が既に支給を受けた障害補償年金は1025万2238円であり,これについては原告X1の損害から既に控除している。したがって,被告が履行猶予を求めることができる額は893万1752円(計算式:1918万3990円-1025万2238円=893万1752円)となる。

 そして,障害補償年金は,入院中の付添看護費・看護雑費,リハビリ費・介護雑費及び将来看護費の填補のみに充てられるものであるから,これらの損害額5435万8687円から893万1752円を控除すると,4542万6935円となる。