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脳・心臓疾患の労災認定と基礎疾患


脳・心臓疾患の労災認定に関して、被災労働者に基礎疾患がある場合の業務と発症との因果関係を判断した最高裁判決を紹介します。

地公災基金鹿児島支部長事件(最高裁平成18年3月3日判決)

 心筋梗塞で入院したことのある公務員がバレーボールの試合に出場中に、急性心筋梗塞を発症して死亡した地公災の事案です。

 死亡した公務員には、心臓に持病があり、死亡と業務との因果関係が問題になりました。

事案の概要

 Aは、昭和57年6月、町立病院において心筋こうそくの疑いがあるという診断を受けた。同年9月に行われた心臓カテーテル検査の結果、Aの冠動脈のうち左回旋枝には閉そくが、右冠動脈及び左前下行枝には狭さくがそれぞれ認められるとされた。Aは、同58年3月、バイパス手術を受けた。Aは、同57年11月から休職していたが、同58年6月に復職した。

 Aは、昭和59年2月、町立病院において急性心筋こうそくの診断を受け、国立病院に入院した。同年5月に行われた心臓カテーテル検査の結果、Aの右冠動脈及び左回旋枝には閉そくが、左前下行枝には狭さくがそれぞれ認められ、左心室造影駆出率は35%であるとされた。Aは、同年6月、陳旧性心筋こうそくの診断を受け、上記病院を退院した。Aは、同年5月から服務休職扱いとなっており、同年6月に上記病院を退院した後も自宅待機をしていたが、同年9月に復職した。Aは、この復職の際、大学医学部附属病院において「心臓機能の予備力の低下は否めず、重労働や過労には耐えられないが、日常の事務仕事には差し支えない」という診断を受けた。

 昭和61年8月に病院において行われた心臓カテーテル検査の結果、Aの右冠動脈及び左回旋枝には閉そくが、左前下行枝には狭さくがそれぞれ認められ、左心室造影駆出率は25%であるとされた。

 昭和62年6月に大学医学部附属病院において行われたマスターダブル運動負荷テストの結果、Aには狭心症状等は認められず、日常生活、事務労働、車の運転等の中程度の労働まで許容することができるとされた。

 Aは、昭和59年6月に国立病院を退院した後、大学医学部附属病院及び町立病院において、診察を受け、狭心症の予防薬等を処方されていたが、Aが狭心症状等を起こした旨の記録は存在しない。

 Aの血清1dl当たりの総コレステロール値は、昭和60年7月には143mgであったが、同61年8月には179mg、同62年11月には192mg、同63年8月には194mg、平成元年6月には203mgと次第に上昇し、同年11月には255mgまで上昇した。

 Aは、昭和61年4月から平成2年5月に死亡するまで、町教育委員会の総務課学校教育主査であった。町教育委員会の総務課は、課長1名、主査1名及び管理係1名から構成されていたところ、学校教育主査は、総務事務及び学校教育事務を広く担当し、公用車を運転して近隣に出張したり、町教育委員会が催すレクリエーション行事に参加したりすることも多かった。Aは、昭和59年9月に復職した後、重い荷物を持つなどの力仕事に従事することは極力避けるようにしていたものの、その余の職務には通常どおり従事しており、その勤務状況は良好であって、病気により休暇を取得することはなかった。Aは、町教育委員会が催すレクリエーション行事としてのスポーツ大会に参加する際、試合には出場せず、専ら運営等を担当していたが、平成元年11月に行われた教育事務所との交歓ソフトボール大会に参加した際、代打として出場し、ホームランを打って走塁した後1塁の守備についたことがあった。

  Aは、心筋こうそくを発症するまでは、各種スポーツ大会に積極的に参加し、狩猟を趣味としていたが、心筋こうそくを発症してからは、激しいスポーツを避けるとともに、摂生に努めるようになった。

 Aは、平成2年5月12日午前11時ころに出勤し、自ら公用車を運転して同僚と共にバレーボール大会の会場に赴いた。Aは、9人制バレーボールの試合に選手として参加せず、運営及び司会進行の担当として参加していたが、第2試合の第2セットの途中で町教育委員会のチームにけが人が出て、他に交代要員がいなかったことから、約20分間にわたり前衛レフトのポジションで試合に出場した。この試合は、ラリーの応酬が続く接戦であり、Aは、ブロックをし、時折スパイクを打つなどして、活発に動いていた。Aは、第2セットが終了した直後である同日午後2時50分ころ、突如として呼吸困難に陥り、救急隊員による心肺蘇生術及び医師による心臓マッサージ、カウンターショック等の処置が施されたが、同日午後3時50分、Aの死亡が確認された。Aの死因については、急性心筋こうそくという診断がされている。

 9人制バレーボールの全試合時間を通じた平均的な運動強度は通常歩行と同程度のものであるが、スパイク等の運動強度はその数倍に達するのであって、その一時的な運動強度は相当高いものである。

原審の判断

 原審は次のように、Aの死亡は業務との相当因果関係がないと判断しました。

 平成2年5月当時のAの心臓機能は昭和59年6月と比較して非常に悪化していた。その上、Aの総コレステロール値は急激に上昇しており、Aはプラーク破裂により心筋こうそくを発症する可能性が高い状態にあった。

 Aの血圧はバレーボールの試合に出場したことにより急激に上昇したと認めることができるものの、血圧の上昇は心筋こうそくの発症の主たる引き金因子と認めることができないものであって、バレーボールの試合に出場したことが心筋こうそくの発症の相対的に有力な原因であるということはできない。Aは、心臓機能の著しい低下と総コレステロール値の急激な上昇という自然的経過の中で、たまたまバレーボールの試合に出場したことが契機となって、心筋こうそくを発症した。

最高裁の判断

 最高裁は、死亡と業務との相当因果関係を否定した原審の判断を覆し、Aの死亡と業務との間の相当因果関係を肯定しました。

 ①Aは、昭和59年9月に復職した後、力仕事に従事することは極力避けるようにしていたものの、その余の職務には通常どおり従事しており、その勤務状況は良好であって、病気により休暇を取得することはなかった、②同62年6月に行われたマスターダブル運動負荷テストの結果、Aには狭心症状等は認められず、日常生活、事務労働、車の運転等の中程度の労働まで許容することができるとされ、③Aは、平成元年11月に行われたソフトボール大会に参加した際、代打として出場し、ホームランを打って走塁した後1塁の守備についたことがあった、④昭和59年6月に国立病院を退院した後にAが狭心症状等を起こした旨の記録は存在しないというのである。

 これらの事実に照らすと、本件においては、Aの心臓疾患は、確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋こうそくを発症させる寸前にまでは増悪していなかったと認める余地があるというべきである。原審は、平成2年5月当時のAの心臓機能が昭和59年6月と比較して非常に悪化していた上、Aの血清1dl当たりの総コレステロール値が平成元年11月には255mgまで急激に上昇していたことから、Aはプラーク破裂により心筋こうそくを発症する可能性が高い状態にあったとするが、記録によれば、Aの総コレステロール値は同2年3月には203mgであったことがうかがわれるところであるし、前記のAの死亡前の勤務状況等に照らせば、上記各事実のみから直ちにAが上記状態にあったと認定することはできないといわなければならない。

 そして、前記事実関係によれば、9人制バレーボールの全試合時間を通じた平均的な運動強度は通常歩行と同程度のものであるが、スパイク等の運動強度はその数倍に達するのであって、その一時的な運動強度は相当高いものであるというのであるから、他に心筋こうそくの確たる発症因子のあったことがうかがわれない本件においては、バレーボールの試合に出場したことによる身体的負荷は、Aの心臓疾患をその自然の経過を超えて増悪させる要因となり得たものというべきである。そうすると、Aの心臓疾患が、確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋こうそくを発症させる寸前にまでは増悪していなかったと認められる場合には、Aはバレーボールの試合に出場したことにより心臓疾患をその自然の経過を超えて増悪させ心筋こうそくを発症して死亡したものとみるのが相当であって、Aの死亡の原因となった心筋こうそくの発症とバレーボールの試合に出場したこととの間に相当因果関係の存在を肯定することができる。


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