脳・心臓疾患の労災の認定に関する最高裁判決を紹介します。

横浜南労基署長事件(最高裁平成12年7月17日判決)

 支店長付運転手として自動車の運転業務に従事していた労働者が,早朝支店長を迎えに行くために自動車を運転中にくも膜下出血を発症したことが,労災かどうかが争われた事件です。

事案の概要

 運転手の勤務時間は,自宅から徒歩約五分の所にある車庫において運行前点検を始めた時から運行を終えて車庫に帰り自動車から離れるまでの間で,平日は午前8時30分から午後5時30分まで,土曜日は午前8時30分から正午までとされ,平日の正午から午後1時までが休憩時間とされ,日曜日、祝日及び隔週土曜日は休日とされていた。

 しかし,昭和56年7月からは,支店長の異動に伴い支店長の送迎が一箇月の約半分は東京都新宿区所在の支店長の自宅までとなり,走行距離が長くなるとともに,勤務時間も早朝から深夜に及ぶようになった。同58年1月から同59年5月11日までの運転手の時間外労働時間は1か月平均約150時間,走行距離は1か月平均約3500キロメートルであり,特に,同58年12月以降の1日平均の時間外労働時間は7時間を上回り,時間外労働時間には深夜労働時間も含まれていた上,同月以降の各月の走行距離もかなり多かった。

 昭和59年4月は,1日平均の時間外労働時間が7時間を超えていた上,1日平均の走行距離(約192キロメートル)は同58年12月以降の各月の1日平均の走行距離の中で最高であった。中でも,同59年4月13日から同月14日にかけての運転手の勤務は,午前6時40分に車庫を出発し,支店長を自宅に迎えに行き,各客先を回って箱根仙石原に送るなどした上同所で宿泊し,翌朝午前七時に同所を出発し,支店長を仙石原ゴルフクラブに送った上,横浜支店との間を往復し,さらに支店長を自宅に送るなどした後,午後9時10分に車庫に戻り,清掃後,午後9時30分ころ帰宅したというものであり,その走行距離は13日が248キロメートル,14日が347キロメートルに及び,運転手は,宿所で同室の者のいびきのため一睡もできなかった上,長距離,長時間の運転をしたため,体調を崩した。

 昭和59年4月下旬から同年5月初旬にかけて,断続的に六日間の休日があったものの,同月1日から同月10日までの間,勤務の終了が午後12時を過ぎた日が2日,走行距離が260キロメートルを超えた日が2日あった。同月10日,運転手は,午前5時50分に車庫を出発し,午後7時30分ころ車庫に帰ったが,午後7時50分ころ,清掃中にエンジンオイルの漏れを発見し,午後11時ころまで掛かって修理し,翌日午前1時ころ就寝した。同月10日の走行距離は76キロメートルであったが,運転手は,待機時間中,洗車及びワックス掛けをしている。運転手は,同月11日,3時間30分程度の睡眠の後,午前4時30分ころ起床し,午前5時少し前に車庫に行き,運行前点検を済ませ,支店長を迎えに行くため自動車を運転して車庫を出たが,その後まもなく走行中に気分が悪くなり,本件くも膜下出血の発症に至った。

 本件くも膜下出血は,脳動脈りゅうの破裂によって発症した蓋然性が高い。脳動脈りゅうは,先天的に発生すると考えられてきたが,後天的に発生するとする見解も存在し,運転手の場合が先天的なものか後天的なものかは不明である。脳動脈りゅうの発生と高血圧との間に直接的な因果関係があるか否かについては十分には明らかにされていない。

 脳動脈りゅうの血管病変は慢性の高血圧症,動脈硬化により増悪するものと考えられており,くも膜下出血の危険因子としては一般的には慢性の高血圧症が挙げられている。脳動脈りゅうは,慢性の高血圧が持続し,その壁が薄くなって増大し,臨界に達しているところに,一過性の血圧上昇を来す動作によって破裂するに至る。右破裂の契機となる血圧上昇は,単純に動脈血圧が上昇する高血圧や精神的ストレスによる一過性の高血圧よりも,排便,前屈等の日常動作によって生ずる一過性の高血圧であることが多いと考えられており,急激な血圧の上昇と深く関連があるとされる。慢性の疲労や過度のストレスの持続は慢性の高血圧症,動脈硬化の原因の一つとなり得るが,くも膜下出血の直接の原因とはいえない。

原審の判断

 本件くも膜下出血について,脳動脈りゅうが加齢とともに自然増悪し,たまたま運転手が従事していた自動車運転業務の遂行過程において破裂したものであって,運転手の基礎疾患である脳動脈りゅうの発生,増悪に自動車運転業務による血圧上昇が共働原因となったとは認め難い上,自動車運転の遂行が精神的,身体的に過重負荷となって高血圧症を急激に増悪させくも膜下出血を発症させる高血圧症と自動車運転業務とが共働原因となってくも膜下出血が発症したとも認め難いとして,労災と判断しませんでした。

最高裁の判断

 最高裁は以下のように判断し,本件くも膜下出血の発症について労災と認めました。

 運転手の業務は,支店長の乗車する自動車の運転という業務の性質からして精神的緊張を伴うものであった上,支店長の業務の都合に合わせて行われる不規則なものであり,その時間は早朝から深夜に及ぶ場合があって拘束時間が極めて長く,また,運転手の業務の性質及び勤務態様に照らすと,待機時間の存在を考慮しても,その労働密度は決して低くはないというべきである。運転手は,遅くとも昭和58年1月以降本件くも膜下出血の発症に至るまで相当長期間にわたり右のような業務に従事してきたのであり,とりわけ,発症の約半年前の同年12月以降は,1日平均の時間外労働時間が7時間を上回る非常に長いもので,1日平均の走行距離も長く,所定の休日が全部確保されていたとはいえ,このような勤務の継続が運転手にとって精神的,身体的にかなりの負荷となり慢性的な疲労をもたらしたことは否定し難い。

 しかも,発症の前月である同59年四月は,1日平均の時間外労働時間が7時間を上回っていたことに加えて,1日平均の走行距離が同58年12月以降の各月の1日平均の走行距離の中で最高であり,運転手は,同59年4月13日から同月14日にかけての宿泊を伴う長距離,長時間の運転により体調を崩したというのである。また,その後同月下旬から同年5月初旬にかけては断続的に6日間の休日があったとはいえ,同月1日以降発症の前日までには,勤務の終了が午後12時を過ぎた日が2日,走行距離が260キロメートルを超えた日が2日あったことに加えて,特に右発症の前日から当日にかけての運転手の勤務は,前日の午前5時50分に出庫し,午後7時30分ころ車庫に帰った後,午後11時ころまで掛かってオイル漏れの修理をして(右修理も運転手の業務とみるべきである。)午前1時ころ就寝し,わずか3時間30分程度の睡眠の後,午前4時30分ころ起床し,午前5時の少し前に当日の業務を開始したというものである。前日から当日にかけての業務は,前日の走行距離が76キロメートルと比較的短いことなどを考慮しても,それ自体運転手の従前の業務と比較して決して負担の軽いものであったとはいえず,それまでの長期間にわたる過重な業務の継続と相まって,運転手にかなりの精神的,身体的負荷を与えたものとみるべきである。

 運転手は,くも膜下出血の発症の基礎となり得る疾患(脳動脈りゅう)を有していた蓋然性が高い上,くも膜下出血の危険因子として挙げられている高血圧症が進行していたが,同56年10月及び同57年10月当時はなお血圧が正常と高血圧の境界領域にあり,治療の必要のない程度のものであった。

 運転手の基礎疾患の内容,程度,運転手が本件くも膜下出血発症前に従事していた業務の内容,態様,遂行状況等に加えて,脳動脈りゅうの血管病変は慢性の高血圧症,動脈硬化により増悪するものと考えられており,慢性の疲労や過度のストレスの持続が慢性の高血圧症,動脈硬化の原因の一つとなり得るものであることを併せ考えれば,運転手の基礎疾患が発症当時その自然の経過によって一過性の血圧上昇があれば直ちにに破裂を来す程度にまで増悪していたとみることは困難というべきであり,他に確たる増悪要因を見いだせない本件においては,運転手が発症前に従事した業務による過重な精神的,身体的負荷が運転手の基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ,発症に至ったものとみるのが相当であって,その間に相当因果関係の存在を肯定するということができる。