治療機会の喪失について判断した最高裁判決を紹介します(治療機会の喪失については、労災の認定と治療機会の喪失参照)。
地公災基金愛知県支部長事件(最高裁平成8年3月5日判決)
地方公務員の労災の地公災の事案です。
小学校教諭が午前中に出血を開始した特発性脳内出血により、当日午後の公務従事中に意識不明となり入院後に死亡した事案です。公務起因性の有無が、争いになりました。
事案の概要
教諭は、昭和53年10月28日、小学校体育館において行われたポートボールの練習試合の審判として球技指導中、ハーフタイムに気分が悪いと言って倒れ、意識不明となって入院した。入院先で、教諭は、特発性脳内出血と診断され、血腫除去の緊急手術を受けて、一時意識状態が好転したが、同年11月3日呼吸不全に陥り、同月9日死亡した。
教諭は、意識不明となった当日の28日は、午前7時40分過ぎころ出勤し、直ちにポートボールの練習指導を行い、続いて朝の会に参加した後、時間割表どおりに授業を行い、午前11時35分から50分まで清掃指導をした。その後、教諭は、小学校で練習試合があり、他校の試合で審判もすることになっていたため、午後1時ころ自家用車に児童を同乗させて市内の小学校へ出発した。教諭は、当日出勤後間もないころから頭痛等の身体的不調を訴え、普通の健康状態にあるとは考えにくい行動をとり、また、体調が悪いことから、昼頃とポートボールの試合の審判の開始前の2回にわたり、同僚の教諭らに審判の交代を頼んだが、聞き入れられず、やむなく、午後2時ころに始まった他校の試合に審判として臨んだ。
原審の判断
当日午前中に始まった出血がいったん止まって、それがポートボールの試合の審判によって再開したものと認めることはできないから、教諭の死亡につき公務上外の認定をするに当たって判断の対象となる公務は、当日の午前中までのものであって、その後におけるポートボールの試合の審判を行ったことによる負荷は同人の死亡と無関係というべきと判断し、公務起因性を否定しました。
最高裁の判断
最高裁は次のように判断し、審理を原審に差し戻しました。
特発性脳内出血は、破裂した微細な血管部分から微量の血液が徐々に侵出するもので、出血開始から血腫が拡大し意識障害に至るまでの時間がかなり掛かるというのである。そして、記録に現れた関係医師の証言等によれば、血圧の変動が出血の態様、程度に影響を及ぼすことがあることがうかがわれ、また、肉体的又は精神的負荷が血圧変動や血管収縮に関係し得ることは経験則上明らかであるから、出血の態様、程度が、血管破裂後に当人が安静にしているか、肉体的又は精神的負荷が掛かった状態にあるのかによって影響を受け得るものであることを否定することはできない。
そうすると、出血開始時期がポートボールの試合の審判をする以前であったとしても、審判による負担やこれによる血圧の一過性の上昇等が出血の態様、程度に影響を及ぼす可能性も本件証拠関係上は十分に考えられるところである。また、午前中の段階で、教諭は身体的不調を訴えていたのであるから、出血開始から血腫が拡大し意識障害に至るまでの時間がかなり掛かるという特発性脳内出血の性質からして、直ちに診察、手術を受ければ死亡するに至らなかった可能性ももとより否定し難い。結局、出血開始後の公務の遂行がその後の症状の自然的経過を超える増悪の原因となったことにより、又はその間の治療の機会が奪われたことにより死亡の原因となった重篤な血腫が形成されたという可能性を、原審のような説示のみをもって、否定し去ることは許されず、したがって、原審が、これらの可能性の有無について審理判断を尽くさないまま、死亡と公務との間の因果関係の判断に当たっておよそ出血開始後の公務は無関係であるとしたのは、早計に失する。
教諭は、当日朝、体調の異変に気付きながら、ポートボールの練習指導や授業等を行っており、しかも、審判の交代を二度にわたって申し出ながら、それが聞き入れられず、やむなくポートボールの試合の審判を担当したというのである。このような事実関係からすれば、教諭は、ポートボールの練習指導の中心的存在であり、他に適当な交代要員がいないため交代が困難であったことから、やむを得ずポートボールの試合の審判に当たったことがうかがわれる。そうすると、仮に上記の可能性が肯定されるならば、教諭の特発性脳内出血が後の死亡の原因となる重篤な症状に至ったのは、午前中に脳内出血が開始し、体調不調を自覚したにもかかわらず、直ちに安静を保ち診察治療を受けることが困難であって、引き続き公務に従事せざるを得なかったという、公務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができる。
出血開始後の公務の遂行が特発性脳内出血の態様、程度に影響を与えた可能性、死亡に至るほどの血腫の形成を避けられた可能性等の点について審理判断を尽くすことなく、前記のような説示をしただけで出血開始後の公務は無関係であるとして公務起因性を否定した原審の判断には審理不尽又は理由不備の違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
なお、その後の差戻審では、やはり公務起因性は否定されました。その後の差戻審判決に対する上告は棄却されています。