受動喫煙について、使用者の安全配慮義務違反を認めた裁判例を紹介します。
江戸川区事件(東京地裁平成16年7月12日判決)
区役所の職員が、区に対し、区が職員を受動喫煙下に置いて健康被害等を与えたとして、損害賠償を求めた事案です。区の賠償責任が、一部認められました。
事案の概要
原告は、平成7年4月1日、被告の職員として採用され、同日から平成8年3月31日まで、江戸川区役所都市開発部再開発課再開発第一係に配属され、同年4月1日から平成11年3月31日まで、江戸川保健所予防課業務係に配属され、その後も被告の職員として勤務している。
都市開発部のある江戸川区役所本庁舎北棟1階執務室は、平成7年4月当時、床面積が371.7平方メートルであり、北側、西側及び南側に窓があり、北棟に設置されている中央式空気調和機によって、毎時2、160立方メートルの外気が処理されて室内に送風されると同時に、同量の空気が室外に排出されており、このほか、同室西側の窓1か所及び天井2か所にいずれも毎時360立方メートルの排気能力のある換気扇が3機、同室の天井に空気清浄機が3機、それぞれ設置されていた。北棟1階執務室においては、当時、職員は自席で喫煙することを許されており、都市開発部の職員88名中37名、再開発一係についてみると、職員7名中4名が喫煙者であった。また、同室においては、同年10月末ころ、窓5か所及び壁1か所にいずれも毎時720立方メートルの排気能力のある換気扇が6機増設され、増設された各換気扇の付近に喫煙場所が設置され、職員は喫煙場所で喫煙することとされた。
予防課及び保健所衛生課のある保健所2階事務室は、平成8年4月当時、床面積が205.8平方メートルであり、保健所全体について、中央式空気調和機によって、毎時2万0400立方メートルの外気が処理されて保健所内に送風されると同時に、同量の空気が所外に排出され、また、毎時3、510立方メートルの排気能力のある排風機によって換気が行われており、このほか、保健所2階事務室東側隅の衛生課庶務係係長席の後ろ及び同室外のエレベーターホールに喫煙場所が設置され、室内の喫煙場所の上方の窓には毎時1、140立方メートルの排気能力のある換気扇が1機、室外の喫煙場所の横には空気清浄機能の備わった空気調節装置が1機、それぞれ設置されていた。保健所2階事務室においては、当時、職員は喫煙場所で喫煙することとされており、原告の席は、室内の喫煙場所から約19メートル、室外の喫煙場所から約10メートル離れていた。保健所2階事務室の職員58名中15名、業務係についてみると、職員10名中2名が喫煙者であった。
原告は、配属当日、北棟1階執務室内において自席での喫煙が許されている状況を見て、F係長に対し、自分は気管支が弱く、たばこの煙が苦手であるから配慮してほしいと申入れた。F係長は、原告に対し、原告がたばこの煙を吸うことによって、ぜん息の発作等を起こすのか尋ねたところ、原告からそうではないとの返答を受けたため、仕事に差し支えるほどではないと受け止めたものの、原告の申入れに配慮して、原告の席を喫煙者の席から少しでも離すため、再開発一係内の座席配置を変更し、原告の向かい側に配置していた者を喫煙者から非喫煙者に変更した。
原告は、再開発一係に配属された後、眼の痛み、のどの痛み、頭痛等を自覚するようになり、その症状は平成8年4月に業務係に異動するまで続いた。原告は、職場の先輩や特別区職員相談室の相談員に対して、職場での喫煙に悩まされている旨相談し、平成7年5月2日には、G係長に対し、区として分煙を推進してほしい旨相談した。これに対し、G係長は、換気扇等の設備の拡充や空間分煙について委員会で検討していること、分煙は方向性としてはできているが、時間がかかること、禁煙については現段階では難しいことなどを話した。また、原告は、同月上旬、再開発課課長Lに対し、喫煙の問題について相談し、北棟全体を禁煙にして喫煙は屋外ですることや既存のスペースを活用して空間分煙を行うことなどの喫煙対策を要望したところ、L課長は、本庁舎内において分煙が行われつつあり、同庁舎を全面的に禁煙とすることは、同庁舎内で勤務している喫煙する職員及び喫煙しない職員全体にかかわることであるから、現段階で直ちにこれを実施することは困難であると話した。
原告は、平成7年5月末ころ及び同年6月14日、耳鼻咽喉科であるI医院で受診し、慢性副鼻腔炎、急性増悪症、慢性喉頭炎及び慢性咽頭炎との診断を受けた。原告は、受診の際、医師から、たばこが原告の疾患に悪いと言われたものの、原告の疾患が受動喫煙によるものであるとの診断を受けたわけではなかった。
原告は、たばこの煙を避けるためにマスクを掛けるようになり、平成7年6月ころからは、F係長の許可を得て、自席の机上に卓上用の空気清浄機を置き、その吹き出し口から出る空気を吸うようになった。
原告は、職場内部での相談では喫煙対策が進まなかったため、米国で地方議会が喫煙対策の先べんをつけたことを参考に、平成7年6月21日、江戸川区議会に対し、江戸川区の公共施設の禁煙化及び分煙化の推進並びに江戸川区有施設の速やかな喫煙対策を求めて請願を行った。この請願は、間もなくL課長らの知るところとなり、L課長は、原告に対し、原告の身体上の苦痛については理解し、対策を講じることを約束するとともに、「陳情の目的は達成されたはずであってこれ以上問題を拡大する必要は乏しいのではないか。喫煙対策は組織の中でできる。」などと述べて、請願の取下げを説得した。
当時のH江戸川区長は、平成7年6月28日、江戸川区議会において、区議会議員の質問に答え、本庁舎内執務室でたばこを吸うことが、喫煙しない職員や執務室に来所した住民に迷惑を及ぼすことにもなるので、執務室では原則として禁煙としたいとの方針を表明し、これを受けて、同年7月4日の安全衛生委員会では、庁舎執務室の分煙の徹底を推進するという方針を決定し、空間分煙の進め方として、各課・事業所において喫煙者と非喫煙者との合意を基礎に、それぞれの箇所で工夫をして喫煙コーナーを設置することとした。原告は、L課長から喫煙対策を約束されたことなどから、同日、一応請願を取り下げ、区長らに謝罪した。
北棟1階執務室においては、上記の安全衛生委員会の方針等を踏まえて、平成7年10月末ころ、窓5か所及び壁1か所にいずれも毎時720立方メートルの排気能力のある換気扇が増設され、増設された各換気扇の付近に喫煙場所が設置され、職員は自席ではなく喫煙場所で喫煙することとされた。もっとも、各喫煙場所がパーティション等で区画されていたわけではなく、原告の席の後方二、三メートルの位置にも喫煙場所が設置されていたほか、管理職や再開発課の職員など一部の職員は喫煙場所での喫煙をおおむね守っていたが、都市開発部の職員の中にはこれを守らず、自席で喫煙する者もいなかったわけではない。
原告は、L課長に対し、執務室内に喫煙場所を設置して換気扇を増設するのではなく、執務室外に喫煙場所を設置して執務室内を禁煙にしてほしいと要請したが、L課長は、喫煙者の権利も尊重しなければならないので無理であると話した。原告は、都市開発部部長Mに対しても、同じような要請を行ったが、M部長は、急激な改革はできないと話した。もっとも、M部長は、平成7年11月1日付けで、「分煙の徹底について」と題する通知を出し、喫煙職員に対して、指定場所での喫煙をなお一層徹底するよう促した。原告は、同日ころ、江戸川区役所総務部職員課福利係に対し、禁煙に関する資料とともに、原告が、咽頭炎、喉頭炎、副鼻腔炎等の医師の診断を受けており、急性症状として受動喫煙との因果関係が推断されること、当時の被告の分煙対策である換気扇の設置が不十分であることなどを指摘して、区役所執務室の原則禁煙と執務室外の喫煙場所の設置を求める要望書を提出したが、この要望は聞き入れられなかった。
平成7年11月から、北棟1階執務室の上記対策を含めて本庁舎内の各課等46職場中43職場及びいわゆる出先機関68職場中53職場で分煙が実施された。
原告は、平成7年12月中旬ころから、たんに血が混じるようになり、同月26日、I医院において、急性喉頭炎及び急性副鼻腔炎兼急性咽頭炎との診断を受けたほか、同月21日及び平成8年1月11日、J大学病院の呼吸器科で受診したところ、同大学病院の医師は、原告に対し、呼気中一酸化炭素濃度及び血液の検査を行った上で、原告の申出を踏まえ、原告について血たん、咽頭痛、頭痛等の受動喫煙による急性障害が疑われること、原告について勤務後受診時には喫煙の指標である呼気中一酸化炭素濃度が高値をとっており、明らかに受動喫煙環境下にあると考えられること、症状等より、今後、同様の環境下では健康状態の悪化が予想されるので、非喫煙環境下での就業が望まれることなどが記載された診断書を発行した。また、原告は、平成7年10月ころからせきをするたびに首に異常を感じていたところ、平成8年1月1日、首に激痛を感じ、同月2日、整形外科において、頚部椎間板ヘルニアとの診断を受けた。頚部椎間板ヘルニアについては、約1年にわたる治療の後、右腕に巧ち性障害を残して症状が固定化した。
原告は、平成8年1月12日、L課長に対し、上記J大学病院の診断書を示し、何とかしてほしいと申し出たが、L課長は、被告において原告をその希望に沿って業務係に異動させるまでの間、原告の上記申出に対し特段の措置を講ずることがなかった。
北棟においては、ビル管理法の適用がないものの、再開発課内にも測定点を設定して、空気環境測定を2か月ごとに行っており、その平成7年度の測定結果は、いずれも、ビル管理法基準及び労働省ガイドライン基準を満たしていたものであったが、再開発課内の測定点は、原告の席と比べて喫煙場所から離れた所にあり、測定が行われる前には再開発課内での喫煙を控える職員もいたため、上記結果は、室内で喫煙者が普段通り喫煙していた場合の室内の空気環境、とりわけ原告の席の付近の空気環境までを示したものではなかった。
なお、北棟1階については、原告の異動後、執務室外である1階のホールに空気清浄機の設置された喫煙場所が設けられ、都市開発部の職員は執務室外の喫煙場所において喫煙するよう変更された。
原告は、平成8年4月1日、業務係に異動となった。原告は、かねてよりL課長に対し、再開発課が全面禁煙にならないのであれば異動させてほしい旨要望し、平成7年10月中旬ころに行われた職員の異動希望調書において、別の職場への異動を希望していたものであるところ、原告の上記異動は、このような原告の要望を受けて行われたものであって、採用されて1年での異動は被告においても極めて異例の対応であった。
予防課及び衛生課のある保健所2階事務室内の喫煙場所を利用するのは主として衛生課の職員であり、室外の喫煙場所を利用するのは主として来庁者及び予防課の職員であった。喫煙場所はパーティション等で区画されておらず、衛生課の職員の中には依然として自席で喫煙する者もいたが、都市開発部に比べて喫煙者が少なく、喫煙場所での喫煙もそれなりに守られている状態であった。
原告の席は、配属当初、業務係のカウンターに近いところに配置されていたが、その席が室外の喫煙場所からわずか数メートルしか離れていなかったため、原告は、業務係係長Nに相談し、室内の喫煙場所から約19メートル、室外の喫煙場所から約10メートル離れ、たばこの煙が流れてきにくい予防課の一番奥に原告の席を指定してもらった。
原告は、平成8年6月ころから平成9年6月ころまで、保健所所長に対し、東京都の方針、厚生省や人事院のガイドライン、喫煙に対する研究論文が発表されるなどの折に触れて喫煙対策を求めたが、保健所所長は、「禁煙は抵抗が大きくてできず、完全分煙は予算がなくてできない。パーティションによって喫煙場所を区画してその他の場所を禁煙とすることについては、ろう屋みたいなところで喫煙するのはいやだとの声が多いためにできないし、余り厳しくやると人間関係が悪くなるので、現状以上の喫煙対策は難しい。」と回答し、話合いは平行線のままであった。原告は、その間の同年2月ころには、保健所内のトイレの中でたばこの吸い殻入れに使用されていた空き缶をすべて撤去し、同年3月ころには、東京都分煙化ガイドライン検討報告を示して、保健所所長に対し、喫煙対策を求めるなどしたが、更なる喫煙対策は行われなかった。
原告は、平成10年3月28日付けで、特別区人事委員会に対し、保健所庁舎内及び江戸川区役所庁舎内の禁煙化及び分煙化を求める措置要求を行った。
保健所においては、平成10年4月ころ、衛生課長Oを中心として所内禁煙の方向で話合いが進められ、トイレに禁煙の表示が行われ、吸い殻入れに使用されていた空き缶を撤去することとされるとともに、所内に分煙及び禁煙の表示がなされて、喫煙対策の周知が図られ、同年7月ころには昼食時間帯を除いて食堂の一角が喫煙場所となったことを受けて、室外の喫煙場所が廃止され、同時期に、1階エレベーターホールに設置されていた灰皿も玄関入口の風除室に移動され、平成11年3月末には、室内の喫煙場所も撤去され、2階ベランダのみが喫煙場所となり、室内は完全に禁煙となった。
保健所においては、ビル管理法の適用がないものの、保健所2階事務室に測定点を設けて、室外の喫煙場所が廃止された後の平成10年12月8日、同月21日及び平成11年1月14日の3回、空気環境測定を行っており、その測定結果によれば、平成10年12月8日の炭酸ガス平均値がビル管理法基準を上回っていたものの、その他については、いずれもビル管理法基準及び労働省ガイドライン基準を満たしており、とりわけ、浮遊粉じん量についてみると、労働省ガイドライン基準の10分の1程度に収まっていた。
原告は、平成11年4月1日付けで、江戸川区立平井福祉センターへ異動となり、同年5月11日付けで、同センターを禁煙とする措置要求を追加した。なお、同センターは、老人娯楽室以外は事務室を含めすべて禁煙となっていたが、老人娯楽室は、開放された空間ではなく遮断された空間となっており、室内には換気扇が2台設置されていた。
特別区人事委員会は、平成12年2月21日、平成10年3月28日付けの措置要求については却下、平成11年5月11日付けの措置要求については棄却する旨判定した。
裁判所の判断
原告は、被告の職員に任命され、地方公共団体である被告との間において勤務関係にある者であるから、被告は、その職員である原告に対し、被告が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は原告が被告若しくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当たって、原告の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負うものと解される。
労働省告示59号の中で、「屋内作業場では、空気環境における浮遊粉じんや臭気等について、労働者が不快と感ずることのないよう維持管理されるよう必要な措置を講ずることとし、必要に応じ作業場内における喫煙場所を指定する等の喫煙対策を講ずること。」と指摘されていたこと、厚生省が平成5年に公表した「喫煙と健康 第2版」の中で、受動喫煙の急性影響としては眼症状(かゆみ、痛み、涙、瞬目)、鼻症状(くしゃみ、鼻閉、かゆみ、鼻汁)、頭痛、せき、ぜん鳴等が自覚されるものであり、受動喫煙の慢性影響としての肺がん発生に関するリスクの有意性については、当時において世界的にみて全面的に受入れられるには至っていないものの、我が国を含む多くの国々でその危険性に対して危ぐの念が表明されている旨指摘されていたこと、厚生省が平成7年3月に公表した「たばこ行動計画」の中で、職場での受動喫煙の影響の排除、減少対策について、「職場における分煙については特定の人々が社会的な必要から日常的にかつ選択の余地なく相当程度の時間を過ごす場所であることから職場の状況を踏まえつつ非喫煙者に十分配慮した対策を積極的に推進すべきである」と指摘されていたこと、平成7年当時、喫煙対策が社会的にも要請され、喫煙対策を行う企業や官公署が増えつつあったこと、平成8年には労働省ガイドラインや労働省マニュアルが公表され、それ以降、職場における喫煙対策について、更に社会的にも検討が進んでいったことなどを併せ考えると、被告は、原告が再開発一係及び業務係に配属されていた当時において、公務の遂行のために設置した施設等の管理又は原告が被告若しくは上司の指示の下に遂行する公務の管理に当たり、当該施設等の状況に応じ、一定の範囲において受動喫煙の危険性から原告の生命及び健康を保護するよう配慮すべき義務を負っていたものというべきである。
その義務の内容は、上記危険の態様、程度、被害結果の状況等に応じ、具体的状況に従って決すべきものであるところ、上記のとおり、受動喫煙の危険性が、急性影響としての眼症状、鼻症状、頭痛、せき、ぜん鳴等の自覚及び慢性影響としての肺がん等のリスクの増加であり、受動喫煙の暴露時間や暴露量を無視して一律に論ずることのできない性質のものであったこと、当時の我が国においては、喫煙が個人のし好に強くかかわるものとして喫煙に対し寛容な社会的認識がなお残っており、喫煙対策の推進に当たっても喫煙者と非喫煙者が相互の立場を尊重することが重要であると考えられていたこと、当時の喫煙対策としては喫煙時間や喫煙場所を限るという意味での分煙が一般的であり、労働省ガイドラインや労働省マニュアルに掲げられた各種の分煙対策についても、即時に全面的な導入を図るべきものとされていたわけではなく、当該施設の具体的状況に応じ、喫煙場所を設けたり、喫煙時間帯を定めたりするなどの分煙対策をある程度段階的に実施していくことを予定されていたとみられることなどは、上記の配慮すべき義務の内容を検討するに当たってしんしゃくすべき事柄であると考えられる。
再開発一係配属期のうち平成7年4月ころから平成8年1月11日ころまでについてみると、北棟1階執務室においては、平成7年4月当時、F係長による再開発一係内での座席配置の変更や卓上用空気清浄機の持ち込み許可のほか、同年10月末ころ、換気扇及び喫煙場所が設置されたというのであり、喫煙場所が依然として執務室内にあり、また、パーティション等で区画されていたわけではなかったために、換気設備の位置、能力等を勘案しても、原告の席までたばこの煙が流れてきていた可能性は否定できないものの、喫煙をめぐる当時の社会情勢の下で官公署や民間企業において一般的に採用されていた分煙対策が執られていたものと評価できること、また、執務室内における受動喫煙により前述のような急性影響が生ずることは否定し難く、原告の自覚する眼の痛み、のどの痛み、頭痛等の症状もその影響であると推認されるものの、受動喫煙の影響は上記程度のものにとどまるものであり、原告が受診したI医院における慢性副鼻腔炎等の診断結果や整形外科における頚部椎間板ヘルニアとの診断結果が執務室内における受動喫煙に起因することを認めるに足りる確たる証拠はなく、受動喫煙との因果関係は不明であること、平成7年5月ころから同年12月ころまでに原告がした喫煙対策の申入れは、いずれも、受動喫煙による疾患の疑いが明示された診断書などを示してなされたものではなく、むしろ、受動喫煙を防止するために一般的な喫煙対策を求めるという色彩の強いものであったこと、当時、北棟1階執務室において、原告以外に受動喫煙による健康被害を訴えた者がいたことをうかがわせるような証拠はなく、北棟1階執務室の空気環境測定結果が一応ビル管理法基準の範囲内にあったことなどにかんがみると、被告が原告の生命及び健康を受動喫煙の危険性から保護するよう配慮すべき義務に違反したとまではいえないというべきである。
しかしながら、再開発一係配属期のうち、平成8年1月12日から同年3月31日までについてみると、原告は、同年1月12日、L課長に対し、原告について血たん、咽頭痛、頭痛等の受動喫煙による急性障害が疑われること、原告について勤務後受診時には喫煙の指標である呼気中一酸化炭素濃度が高値をとっており、明らかに受動喫煙環境下にあると考えられること、症状等より、今後、同様の環境下では健康状態の悪化が予想されるので、非喫煙環境下での就業が望まれることなどが記載された前記J大学病院の診断書を示し、何とかしてほしいと申し出たというのであり、上記診断書の記載内容から直ちに上記急性障害と執務室内における受動喫煙との間に法的な因果関係を認め得るかどうかはともかくとして、執務室内の分煙状況等にかんがみても、被告としては、原告が、執務室内においてなお受動喫煙環境下に置かれる可能性があることを認識し得たものと認められるから、上記診断書に記載された医師の指摘を踏まえた上で、受動喫煙による急性障害が疑われる原告を受動喫煙環境下に置くことによりその健康状態の悪化を招くことがないよう、原告の席の後方2、3メートルの位置に設置されていた喫煙場所を撤去するなどして原告の席を喫煙場所から遠ざけるとともに、自席での禁煙を更に徹底させるなど、速やかに必要な措置を講ずるべきであったにもかかわらず、同年4月1日に原告をその希望に沿って異動させるまでの間、特段の措置を講ずることなく、これを放置していたのであるから、被告は、原告の生命及び健康を受動喫煙の危険性から保護するよう配慮すべき義務に違反したものといわざるを得ない。
平成8年4月1日以降の業務係配属期についてみると、保健所においては、既に昭和61年以来、当該施設の性質にかんがみて分煙対策が導入され、1階は禁煙、2階の会議室とトイレも禁煙、その他の部分は分煙とするなどの対策が実施されており、被告における分煙対策のさきがけとなった職場であること、保健所2階事務室においては、分煙対策が実施されており、北棟1階執務室に比べてそれなりに分煙は守られていたことに加え、喫煙者数が北棟1階執務室に比べて半分程度であったこと、喫煙場所はパーティション等で区画されていなかったものの、原告は、N係長に相談し、室内の喫煙場所から約19メートル、室外の喫煙場所から約10メートル離れ、たばこの煙が流れてきにくい予防課の一番奥に原告の席を指定してもらったこと、平成10年4月にはトイレに禁煙の表示が行われ、吸い殻入れに使用されていた空き缶を撤去することとされるとともに、所内に分煙及び禁煙の表示がなされて、喫煙対策の周知が図られ、同年7月ころには室外の喫煙場所が廃止され、平成11年4月からは室内の喫煙場所も廃止され、喫煙はベランダのみで行うとの分煙対策が更に進められたこと、原告が、業務係配属期において、受動喫煙による上記急性障害がなお残存しているとか、その急性障害が更に悪化したといった内容の診断書を提示した形跡はなく、平成8年4月1日から平成11年3月31日までに原告がした喫煙対策の申入れも受動喫煙に関する一般的な知見を示してなされたものであったこと、被告が、平成8年当時、既に実施済みであった分煙対策に加え、N係長による座席配置の変更、保健所所長による相談等を経ながら原告に対応しつつ、更に平成10年以降、禁煙原則に立脚した分煙対策を推進したことなどに照らせば、被告が原告の生命及び健康を受動喫煙の危険性から保護するよう配慮すべき義務に違反したとはいえないというべきである。