通勤災害の要件の内、通勤起因性が問題になった裁判例を紹介します。
大阪南労基署長事件(大阪高裁平成12年6月28日判決)
通勤途中に、宗教団体の信者に殺害された事案です。通勤途中の殺害に、通勤起因性があるか?が問題になりました。裁判所は、結論として、通勤災害に当たらないと判断しました。
裁判所の判断
控訴審である大阪高裁は、基本的に、原審の判断を是認し、通勤災害に当たらないと判断しています。
労災保険法は、通勤災害を、労働者災害補償保険の対象とする。これは、昭和48年の同法改正によって設けられたものであるが、通勤が特別の場合を除いて一般に使用者の支配下にあるものではないから、通勤災害を業務上の負傷、疾病、障害又は死亡ということはできないものの、通勤は、労働者が労務を提供するための不可欠な行為であって、単なる私的な行為とは異なるものであること、通勤途上の災害が、産業の発展や通勤の遠距離化等によってある程度不可避的に生じる社会的な危険となっており、これを労働者の私的生活上の損失として放置すべきものではない等の理由によって規定されたものである。労災保険法によれば、通勤災害についても業務災害とほぼ同様の保護が与えられるが、業務災害は、業務すなわち労働者が労働契約の本旨に従って行うところの使用者の支配下における行為に起因する災害であるのに対し、通勤は、労働者によるその住居と就業場所との往復行為であって、使用者の支配下に入る前又はこれから脱した後の行為であり、また、住居の選定、通勤経路手段の選定等は労働者の自由意志によるところであり、その通勤という過程において生じた労働者の損害を使用者がすべて負担しなければならない理由はなく、業務災害と通勤災害とは、その性格を異にするものである。
通勤災害は、「通勤による」ものでなければならず、通勤とは、労働者が、就業に関し、住居と就業の場所との間を、合理的な経路及び方法により往復することをいい、業務の性質を有するものを除くと規定されている。「通勤による」とは、通勤と負傷等との間に相当因果関係があることを必要とする趣旨であり、これは、通勤に内在する危険が現実化したことを指す。そして、通勤途上の交通事故のように一般的に通勤に内在する危険と目されるものについては、これが生じれば通勤に内在する危険が現実化したといえるが、単に通勤中に災害が生じたというだけでは足りない。また、通勤途上に第三者による犯罪の被害を受けたというような場合では、通勤がその犯罪にとって単なる機会を提供したに過ぎない場合は、これを通勤に内在する危険が現実化したとはいえないというべきである。控訴人らは、通勤経路、場所、時刻等の通勤に関する諸要素が、当該犯行の可能性を高めて、その実行を容易にするなどの犯行の誘因となった場合には、通勤が災害発生の共働原因といえ、当該災害は通勤に内在する危険の現実化ということができる旨主張するが、右解釈は、労災保険法が、通勤災害を労働者災害補償保険の対象とした趣旨からして広きに過ぎ、採用することができない。
本件は、被害者の殺害とその手段がまず決定され、殺害の場所についてはその後の下見によって決定されたものであるが、そうすると、本件犯行が被害者の通勤途上に行われたのは、単なる機会として選択されたに過ぎず、通勤途上が犯行現場となる必然性はない。
以上によれば、本件災害を通勤の危険性が現実化したものとは認め難く、これが通勤によって生じたものということはできない。