じん肺の損害賠償請求と消滅時効(労災の損傷賠償)
じん肺にり患した労働者が使用者に安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求を行った事案で消滅時効の起算点を判断した最高裁判決を紹介します。
長崎じん肺訴訟(最高裁平成6年2月22日判決)
炭鉱労務に従事してじん肺にかかった労働者又はその相続人が、使用者に対して安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求を求めた事案です。損害賠償請求権の消滅時効の起算点が問題になりました。
事案の概要
被上告人は,昭和14年に設立された株式会社であり,同年8月北松鉱業所を設け,鹿町,矢岳,神田,御橋などの各炭鉱を開発経営し,また同29年から伊王島鉱業所も経営するようになったが,各炭鉱の終掘により,同40年北松鉱業所を廃止し,同47年伊王島鉱業所を閉山した。
上告人ら元従業員は,被上告人と雇用契約を締結し,それぞれ,各炭鉱のいずれかにおいて,炭鉱労務に従事した。
上告人ら元従業員63名は,いずれも,じん肺(けい肺)の所見がある旨の行政上の決定を受けており,その最終の行政上の決定をみると,58名が管理4とされ,その余の2名は管理3に,また3名は管理2にとどまっている。
63名のうち,20名については,最終の行政上の決定(最も重い行政上の決定)を受けた日から本訴提起の日までに10年を超える期間が経過している。その余の43名については,最終行政上の決定を受けた日から10年未満のうちに本訴が提起されているが,このうち10名については,最初の行政上の決定を受けた日から本訴提起の日までに10年を超える期間が経過している。10名の中には,昭和41年にじん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受け,その4年後である同45年に管理4の決定を受けた者もあれば,同30年にじん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受け,その21年後である同51年に管理3の,次いで同53年に管理4の決定を受けた者もある。
最高裁の判断
最高裁は,次のように述べ,最終の行政上の決定を受けた時から消滅時効が進行すると判断しました。
雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は,民法167条1項により10年と解され,10年の消滅時効は,同法166条1項により,損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。
安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,その損害が発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ,じん肺に罹患した事実は,その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから,本件においては,じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したものということができる。
しかし,このことから,じん肺に罹患した患者の病状が進行し,より重い行政上の決定を受けた場合においても,重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が,最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたものとみることはできない。
じん肺は,肺内に粉じんが存在する限り進行するが,それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であって,しかも,その病状が管理2又は管理3に相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば,最も重い管理4に相当する症状まで進行した者もあり,また,進行する場合であっても,じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けてからより重い決定を受けるまでに,数年しか経過しなかった者もあれば,20年以上経過した者もあるなど,その進行の有無,程度,速度も,患者によって多様であることが明らかである。そうすると,例えば,管理2,管理3,管理4と順次行政上の決定を受けた場合には,事後的にみると一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないようにみえるものの,このような過程の中の特定の時点の病状をとらえるならば,その病状が今後どの程度まで進行するのかはもとより,進行しているのか,固定しているのかすらも,現在の医学では確定することができないのであって,管理2の行政上の決定を受けた時点で,管理3又は管理4に相当する病状に基づく各損害の賠償を求めることはもとより不可能である。以上のようなじん肺の病変の特質にかんがみると,管理2,管理3,管理4の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害には,質的に異なるものがあるといわざるを得ず,したがって,重い決定に相当する病状に基づく損害は,その決定を受けた時に発生し,その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり,最初の軽い行政上の決定を受けた時点で,その後の重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が発生していたとみることは,じん肺という疾病の実態に反するものとして是認し得ない。これを要するに,雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は,最終の行政上の決定を受けた時から進行するものと解するのが相当である。