頚腕症候群の発生について安全配慮義務違反の有無が問題になった最高裁判決を紹介します。
横浜市立保育園事件(最高裁平成9年11月28日判決)
市立保育園の保育士が頚腕症候群(上肢障害)にり患し、使用者に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償を請求した事案です。
上肢障害については、以下の上肢障害の労災認定を参照
事案の概要
上告人は、昭和35年12月に被上告人に採用され、市児童相談所で受付事務等に従事していたが、昭和43年4月から保母として勤務することになり、同月15日から市立長津田保育園に、昭和47年6月2日から市立山手保育園に、昭和52年5月19日から市立根岸保育園に、いずれも保母として勤務してきている。
上告人は、長津田保育園において、昭和43年度は一、二歳児6名を、昭和44年度は四歳児14名を、昭和45年度は五歳児13名をそれぞれ一人で担当し、昭和46年度は一、二歳児10名(同年8月から11名)を同僚と二人で、昭和47年4月、5月は一、二歳児11名を同僚一名及び応援保母と共に担当した(もっとも、昭和46年5月1日から同年8月2日までは産休を取っており、この間は保育業務に従事していない。)。上告人は、長津田保育園に勤務し始めてから3年目の昭和45年9月ころから、時々、肩、背中の痛みを感じるようになり、また、昭和47年4月ころからは、慢性的肩凝りがあるのに加えて、右腕、右肘の筋肉が非常に痛み出した。
上告人は、昭和46年6月14日長女を出産したが、産休の終了した同年8月以降は、勤務時間中は姉に長女の世話をゆだね、帰宅後は自ら長女、当時七歳の長男及び五歳の次男の育児に当たるとともに家事を処理した。上告人は、同年10月ころ、出産の影響により、腰から大腿部の筋肉痛により産婦人科で治療を受けた。
上告人は、昭和47年6月2日に山手保育園に転勤したが、同保育園は、新設保育園であり、上告人が着任した時点では、上告人を除く保母三名及び作業員一名はすべて新規採用であり、園長は児童福祉事業に従事した経験がなかった。上告人は、着任早々、保育開始のための準備的事務の処理に当たったが、主任(上席)保母として、又は保母経験のある者として、指導的ないし中心的立場で事務処理をし、短期間ながら、多忙で、その負担は重かった。同月11日から保育が開始され、上告人は、当初、一、二歳児六名を一人で担当したが、同保育園では、同年7月24日から同年8月31日まで、夏季合同保育ということで、出勤している保母全員が登園している園児全員を保育する混合保育方式を採った。また、上告人は、調理員が同月7日から同月15日まで休暇を取った際、7日間、厨房で一日平均約12.4名分の調理を担当した。
上告人には、同保育園に転勤したころから、肩凝り、腕のだるさのほか、立っているのがつらい、精神的疲れを感じるなどの自覚症状があり、同年7、8月ころは、自宅で家事をするのがつらく、保育園での調理作業中、右背中に作業を中断しなければならない程の激痛を感じたことがある。上告人は、同年9月4日に、病院で診察を受けて頚肩腕症候群と診断され(その後、業務に起因するものであるとの意味を含めて、病名を頚肩腕障害と改められた。)、同日から同病院に通院し、マッサージ等の治療を受け始めた。
上告人の同年の休暇の取得状況をみると、1月に1日、2月に3日、3月に2日の年次休暇を取得し、1月に生理休暇を1日取得しているが、山手保育園に転勤してからは、病院に診察を受けに行った9月4日と更に1日のほか年次休暇はなく、夏季職免が7月に1日、8月に5日、職免が6月に1日、8月に0.5日あるだけである。
病院に通院し始めた後も、同僚保母が同年10月初旬から昭和48年3月末日までほぼ欠勤する状態が続いたため、上告人は、保母経験の最も長い主任保母の立場上、自分の本来の担当組のほか、右保母の担当していた三歳児の組の保育も引き受け、他の保母の協力や時間外託児福祉員の補助を受けながら両組の合同保育に当たり、編成替え後は、三歳児の組の幼児の一部を引き受けて合同保育を行ったが、乳児室が合同保育には狭すぎることなどもあって、上告人にとっては精神的にも身体的にも負担が増した。
上告人は、昭和51年8月まで病院に通院して治療を受けたが、この間、症状は起伏を伴いながらも続き、同年8月13日の最終通院時の症状につき、担当医師は、初診時に比べ進行し悪化したとの見解を述べている。上告人は、昭和49年7月から昭和58年6月まで月に1回ないし5回の指圧治療を受け、また、昭和59年4月から骨格調整治療を受け、その改善効果を感じている。
最高裁の判断
最高裁は、まず、因果関係の立証の程度としてルンバール事件最高裁判決を引用して、一般論として、以下のように述べています。
訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。
その上で、最高裁は、本件について、業務と頚腕症候群との因果関係を肯定しました。
保母の保育業務は、長時間にわたり同一の動作を反復したり、同一の姿勢を保持することを強いられるものではなく、作業ごとに態様は異なるものの、間断なく行われるそれぞれの作業が、精神的緊張を伴い、肉体的にも疲労度の高いものであり、乳幼児の抱き上げなどで上肢を使用することが多く、不自然な姿勢で他律的に上肢、頚肩腕部等の瞬発的な筋力を要する作業も多いといった態様のものであるから、上肢、頚肩腕部等にかなりの負担のかかる状態で行う作業に当たることは明らかというべきである。事実、頚肩腕症候群による労災補償の認定を受けた保母も相当数いるという状況がある。
上告人の症状は、長津田保育園で勤務し始めて3年目で、長女を出産するよりも前である昭和45年9月に、肩や背中の痛みといった前駆的症状が現われ、その後、長女を出産した約10か月後である昭和47年4月ころから、慢性的肩凝り、右腕、右肘の筋肉の痛みという形で顕在化した。上告人は、その状態のまま、新設の山手保育園に主任保母として着任し、同僚のほとんどは新任保母であるという状況の中で入園式や保育開始準備に集中的に当たり、その間、10日程度の短期間とはいえ、精神的、身体的に負担が大きかった上、一、二歳児6名を一人で担当することとなり、このころも肩凝り、腕のだるさ等の自覚症状があったところ、夏季合同保育期間中であった同年8月に調理員が休暇を取った七日間は、1日平均約12.4名分の調理を担当するなどしており、その調理作業中に右背中に激痛を感じたというのである。そして、その後、同年9月4日に病院で診察を受けて頚肩腕症候群と診断され、通院を開始した。上告人は、この間、必ずしも十分な休憩、休暇を取得することができなかったこともうかがわれる。その後も、同僚保母の長期欠勤のため合同保育に当たるなど、上告人の業務負担が重くなったことはあっても軽減されることはなく、上告人の症状も若干の起伏を伴いながら続いた。
こうした上告人の症状の推移と業務との対応関係、業務の性質・内容等に照らして考えると、上告人の保母としての業務と頚肩腕症候群の発症ないし憎悪との間に因果関係を是認し得る高度の蓋然性を認めるに足りる事情があるものということができ、他に明らかにその原因となった要因が認められない以上、経験則上、この間に因果関係を肯定するのが相当である。