うつ病の悪化と労災認定
すでに発症していたうつ病が悪化した場合、労災になるか?を判断した裁判例を紹介します。
八王子労基署長事件(東京地裁平成26年9月17日判決)
すでに発症していたうつ病が悪化した場合の労災認定は、「特別な出来事」が認められる場合に限られます(精神障害の再発・悪化と労災の認定参照)。しかし、裁判所は、行政よりも広く労災を認める傾向にあります。
事案の概要
本件会社は、東京都、神奈川県、埼玉県及び千葉県の主要ターミナル駅の駅ビルや大規模商業施設内において飲食店を経営することを業とする株式会社である。
本件会社は、○○カフェレストラン(カジュアルレストラン)、カフェ等の5部門に分けて事業を展開していた。
亡Bは、昭和56年生まれの女性であり、原告は亡Bの母である。亡Bは、平成13年4月の大学法学部入学を機に上京し、以後死亡するまで、東京都内で一人暮らしをしていた。
亡Bは、平成17年3月に大学を卒業し、同年5月8日、本件会社にアルバイト(本件会社では「メイト」と呼ばれている。)として採用され、本件会社がBショッピングセンター4階に設置する喫茶店「C」で、主に接客業務に従事した。以後、亡Bは、平成18年6月29日頃、本件会社と特約社員雇用契約を締結し、さらに同年8月31日には期間の定めのない雇用契約を締結し、同年9月1日に、本件会社におけるアシスタントマネージャーの職位として本件店舗の店舗責任者に就任し、死亡するまでの間、本件店舗の運営全般にかかる管理業務に従事した。
亡Bの、労働時間に関連する労働条件は、本件店舗の営業時間が、午前10時から午後8時までであり、従業員はシフトを組んで就労していたことを前提に、次のとおりとなっていた。
①労働時間制度:1か月単位の変形労働時間制
1日8時間、1週40時間
②所定休憩時間:60分
③所定休日:4週8休、年間107日
このうち、休憩については、30分の休憩を2回に分けてとることとされていたが、実際には、平成18年9月以降は、1回分の休憩しかとることができなかった。
また、本件会社の正社員は、本件店舗に備付けのタイムレコーダーにIDカードを通す方法で、出勤時刻及び退勤時刻を登録することとされており、亡Bもこれによっていた(ただし、出勤時刻の打刻は制服への着替えを終えてから、退勤時刻の打刻は私服への着替えをする前に行われていた。)。
本件店舗の店舗責任者となった亡Bの指導については、本件店舗を含む○○カフェレストラン部門の統括者(スーパーバイザー)であったC及び、亡Bの直属の上司とされ、本件ショッピングセンターの8階にある本件会社が運営するカフェレストラン「D店」の店舗責任者であったDマネージャーが、それぞれ行うこととされていた。
本件店舗の人的態勢は、平成18年12月8日時点で原告以外の従業員が15名在籍していたが、全員がメイト又はパート社員であった。なお、本件会社では、人手が不足した店舗に、他店舗の従業を応援に行かせることがあり、「ヘルプ制度」と呼ばれていた。
亡Bは、帰省中の平成15年8月26日、体重減少、不眠及び生理不順等を来したため、k病院を、同月9月3日には、やせすぎ、無月経等を主訴として、l病院の内科・心療内科を受診した。
亡Bは、帰省を終えた後の平成15年10月15日、不眠を訴え、桜ヶ丘記念病院を受診した。亡Bは「うつ病」と診断され、以後平成18年12月2日までの間、定期的に同病院に通院し、E医師の診察を受けた。
亡Bは、平成18年12月9日午前8時30分頃、自宅マンション3階のベランダから飛び降り、これにより生じた頭部打撲を原因とする脳挫傷により、同日午前11時15分頃、死亡した。
裁判所の判断
業務起因性の判断をするに当たって,基本的には認定基準に従いつつこれを参考としながら,当該労働者に関する精神障害の発病に至るまでの具体的事情を総合的に斟酌し,必要に応じてこれを修正する手法を採用することとする。
亡Bは,帰省中に通院した後,東京に戻った後の平成15年10月15日,同年9月ころからの不眠を主訴として,桜ヶ丘記念病院でE医師の診察を受け,以降,受診を続けた。
E医師は,上記診察の過程において,亡Bに倦怠感,不安感及び情緒の不安定を認めたことから,軽度うつ病若しくは気分変調症と診断した。また,亡Bは,当初,涙ぐんだかと思うと笑うようなこともあるなど不安定な状態であったため,いったん実家に戻り,母親の付添を受けて通院していたが,抗うつ薬,睡眠導入薬の投与等に加え,平成16年1月からは認知行動療法も行われ,同年5月には再び東京での一人暮らしができるようになった。その後も,亡Bは上記のとおり,おおむね1,2か月に1度の頻度で通院し,その都度,生活状況や睡眠状況はどうであるかなどの問診が行われ,抗うつ薬(パキシル),睡眠導入薬(マイスリー,サイレース)及び頓服用として抗不安薬(ワイパックス)が処方されていた。
亡Bが最後に桜ヶ丘記念病院を受診したのは,平成18年12月2日であり,診療録には,「元気に work:つらいが働いている 会議もあるから,,,。休みは2日/月くらい。Sleep:OK ザジテン→non-effective 今日はOK 1日1食くらい,PM10-11°に食べている。生活 リズムはOK」との記載がある。このときも,それまでと変わらずにサイレース1㎎,パキシル20㎎,マイスリー5㎎及びワイパックス0.5㎎の処方を受けている。
亡Bは,前記アのとおり通院をしながらも,留年をしたり,大学生活に特段の支障を来したりすることはなく,平成17年3月,大学(中央大学法学部)を卒業した。
亡Bが平成15年に被告における業務とは無関係な原因によって発病していた本件精神障害の症状が,本件会社において稼働していた平成17年から平成18年にかけて,どのような態様・程度のものとなっていたかが,認定基準における「業務以外の原因により発病して治療の必要な状態にある精神障害が悪化した場合」との関係で問題となる。
原告及び被告は,本件精神障害について寛解の有無を問題としているところ,寛解の意義については,症候学的に臨床基準を満たさないのみならず,ごく軽微な症状しか残存しないようになった段階を指すものと解すべきである。
しかしながら,認定基準の「業務以外の原因により発病して治療の必要な状態にある精神障害が悪化した場合」の解釈については,「治療が必要な場合」を限定的に解釈すべきものと考える。すなわち,そもそも認定基準の合理性が認められるのは,その前提として,認定基準が検討会報告書の持つ内容的な合理性を引き継ぎ,あるいは検討会報告書の見解をより合理的な知見により修正されているといえることに負っているというべきものであるところ,検討会報告書は,「精神障害で長期間にわたり通院を継続しているものの,症状がなく(寛解状態にあり),または安定していた状態で,通常の勤務を行っていた者の事案については,ここでいう「発病後の悪化」の問題としてではなく,治ゆ(症状固定)後の新たな発病として判断すべきものが少なくないこと…に留意する必要がある」としているのであって,この指摘は,精神障害を抱えながらも,症状が安定している者を可能な限り社会内で健常者と同等に活動できるようにするうえで,必要かつ不可欠なものといわなければならない。
認定基準は,既に発病している精神障害が悪化した場合の業務起因性について,「特別な出来事」に該当する出来事があることを業務上の疾病として取り扱う前提としており,その「特別な出来事」として挙げるものは,「生死にかかわる,極度の苦痛を伴う,又は永久労働不能となる後遺障害を残す業務上の病気やケガをした(業務上の傷病により6か月を超えて療養中に症状が急変し極度の苦痛を伴った場合を含む)」,「業務に関連し,他人を死亡させ,又は生死にかかわる重大なケガを負わせた(故意によるものを除く)」,「強姦や,本人の意思を抑圧して行われたわいせつ行為などのセクシュアルハラスメントを受けた」,「その他,上記に準ずる程度の心理的負荷が極大と認められるもの」という極めて稀な出来事であるところ,「特別な出来事」が存在しなければ,健常者であれば,業務上の疾病であることが認められることになる個々の具体的な出来事であって心的的負荷の程度が「強」となるものが幾つあったとしても,業務上の疾病とは認められないという判断枠組みを採用している。
検討会報告書の指摘する「精神障害で長期間にわたり通院を継続しているものの,症状が安定していた状態で,通常の勤務を行っていた者」を「治療が必要な場合」に当たるとすれば,たとえ健常者であっても精神障害を発症し,自殺に至るような「ひどい嫌がらせ,いじめ,又は暴行を受けた」,「胸や腰等への身体接触を含むセクシュアルハラスメントであって,継続して行われた場合」などの出来事(認定基準参照)があったとしても,通院を継続していたとの一事をもって,精神障害の増悪についての業務上の疾病であることを否定することになってしまうという著しく正義・公平に反する結果を招来することになりかねない。確かに,認定基準が「業務以外の原因により発病して治療の必要な状態にある精神障害が悪化した場合」に「極度の心理的負荷」を要求するのは,もともと精神障害がある者については,その病態として,健常者以上に出来事に対して大きな反応を示す傾向があることから,健常者であれば精神障害の発症等の問題を惹起しないような出来事による精神障害の増悪についてまで,業務上の疾病として取り扱うことが不合理であるという考慮によるものであると考えられ,それには一定程度の合理性があるとはいえるものの,健常者であっても精神障害を発症するような心理的負荷の程度が「強」となる出来事にさらされた場合にまで,業務上の疾病であることを一律否定するのは行き過ぎた限定であるというべきである。
したがって,認定基準が検討会報告書の持つ内容的な合理性を引き継ぎ,かつ,精神障害の症状が安定していて通常の勤務を行うことのできる者の社会的活動を適切に確保し保護するという観点から,認定基準の「治療が必要な場合」には,「精神障害で長期間にわたり通院を継続しているものの,症状がなく(寛解状態にあり),または安定していた状態で,通常の勤務を行っていた者」を含まないものとする限定解釈を加えたうえで,「安定していた状態」であるか否かを具体的事案に即して判断することが相当である。
亡Bの人に対する態度には不安定なところも見受けられるが,亡Bの本件精神障害は,本件会社における勤務を含めて,社会生活を特段の支障なく送ることができる程度には安定していたものであって,少なくとも本件会社に就職した平成17年には,本件精神障害の症状が精神障害の発病と寛解を繰り返していた状況にあったとは評価すべきものではなく,おおむねその症状が消失していたとみるべきものである。
したがって,本件精神障害の症状は,平成18年12月の時点では,「精神障害で長期間にわたり通院を継続しているものの,安定していた状態で,通常の勤務を行っていた者」に当たる状況にあったとみることが相当である。