過重労働によって発症した消化器疾患が労災となるか?を判断した最高裁判決を紹介します。
ゴールドリングジャパン事件(最高裁平成16年9月7日判決)
ヘリコバクター・ピロリ菌感染という基礎疾患を有する労働者が、海外出張中にせん孔性十二指腸かいようを発症した事案です。
脳・心臓疾患の労災認定基準の対象疾患は、脳血管疾患と虚血性心疾患です。本件では、対象疾患以外の疾病が問題になっています。
事案の概要
上告人は、昭和59年3月1日に神戸市所在のゴールドリングジャパン有限会社に入社し、営業員として勤務していた。同社は、主に、日本及び極東地域の商品製造業者と諸外国の業者との間の商品売買の代行等の代理店業務を営む会社である。上告人の通常の業務内容は、海外の顧客との通信文書の原文作成、商品製造業者との価格、納期等の交渉、顧客からの依頼に対する回答、新しい商品の探索、海外の代理店への指示などを行うことであった。上告人の所定労働時間は、午前9時から午後5時30分までのうち休憩時間を除いた7時間30分で、所定休日は、土曜日、日曜日、夏期休暇7日間及び冬期休暇14日間であった。上告人は、1年間に4回程度海外出張をしていたが、これらは、香港ないし台湾の同社の現地事務所に赴き打合せをするとともに、これと前後して目的の国において商談等を行うというもので、出張先はおおむね1か所だけであった。
上告人の本件疾病の発症以前1年間における各月の時間外労働等の状況をみると、上告人は、出張がない月にはおおむね時間外労働又は休日労働をしておらず、出張をした月においても、時間外労働は18時間、休日労働は3日間を超えることはなかった。また、出張以前2か月間は、時間外労働も休日労働もしていなかった。
上告人は、平成元年11月20日から同月24日にかけて、大阪、東京、三重等に出張し、海外の顧客を上記各地の事業所に案内して商談ないし接待を行った。上記国内出張に係る5日間において、商談その他の付随業務及び接待に要した時間は、合計68時間(1日当たり平均13.6時間)であった。また、同月25日は休日であったが、上告人は、前日までの記録の整理及び翌日からの海外出張の準備を行った。
本件海外出張は、平成元年11月26日から同年12月9日までの予定で、大韓民国、台湾、シンガポール、マレイシア、タイ及び香港を出張先とし、上告人が、ゴールドリングジャパン有限会社のゴールドリング社長と共に、同社の顧客である英国のウェブ・インターナショナルリミテッド社のファーン取締役及びバーレル取締役の出張に随行し、現地代理店の業務の促進、営業等を行うというものであった。ウェブ・インターナショナルリミテッド社は英国の大手の文具問屋であり、ゴールドリングジャパン有限会社は、従前から上記会社が取り扱うアルバムの貿易代行をしていたが、本件海外出張当時、貿易代行の対象となる商品を文具一般に広げる準備を進めており、本件海外出張はその実績を作る重要な出張として位置付けられていた。
①平成元年11月26日、航空機で大阪から大韓民国のソウルに移動し、ゴールドリング社長と共にファーン、バーレル及び現地代理店担当者と打合せをし、ファーン及びバーレルを接待した。
②同月27日、ファーン及び現地代理店担当者と共に商品製造業者4社を訪問し、商談をした後、商品製造業者側の接待を受けた。
③同月28日、航空機でソウルから台湾の台北へ移動し、英文でレポートを作成した後に、ゴールドリング社長及び現地代理店担当者と打合せをし、ファーンを接待した。
④同月29日、ファーン及び現地代理店担当者と共に商品製造業者4社と商談を行い、商品製造業者側の接待を受け、さらに、ファーンを接待した。
⑤同月30日、ファーン及び現地代理店担当者と共に商品製造業者3社と商談を行い、商品製造業者側の接待を受けた。
⑥同年12月1日、航空機で台北から香港を経由してシンガポールへ移動し、シンガポールで商品製造業者1社と打合せをした。
⑦同月2日、ファーン、バーレル及びタイの代理店担当者と共にマレイシアの工場を訪問して商談をした後、シンガポールで商品製造業者側の接待を受けた。
⑧同月3日、ゴールドリング社長及びタイの代理店担当者との打合せ並びに英文の業務レポート作成をした後、ファーン及びバーレルを接待した。
⑨同月4日、シンガポールで、ゴールドリング社長と共にバーレル及びタイの代理店担当者と打合せをし、ファーンと共に商品製造業者1社を訪問した後、タイのバンコクへ移動し、ファーンを接待した。なお、上告人は、同日から食欲減退を訴えている。
⑩同月5日、タイの現地代理店と打合せを行った後、現地代理店担当者と共にファーンを市内に案内し、接待した。
⑪同月6日、ファーン及び現地代理店担当者と共に商品製造業者1社を訪問して商談をした後、ファーンを接待した。
⑫以上の11日間の接待を含む労働時間は合計144.5時間(1日当たり平均約13.1時間)であり、時間外労働は62時間、休日労働は2日間であった。
⑬同月7日、ファーン及び現地代理店担当者と共に商品製造業者1社を訪問して商談をした後、航空機でバンコクから香港へ移動する途中の午後3時45分ころから腹痛を訴え、香港到着後も腹痛が治まらず、同日午後10時ころ、ホテルから救急車で病院に搬送された。上告人は、同日、同病院に入院し、同月8日に抗かいよう剤の投与を受けたが、翌9日に本件疾病と診断されて開腹手術などの治療を受けた。上告人は、翌平成2年初めころからは回復に向かい、その後退院した。
上告人は、昭和44年ころに十二指腸かいようにり患し、同55年ころにも十二指腸かいようの傾向があるとして治療を受けた。さらに、同63年2月、腹部に痛みがあったため病院で受診したところ、十二指腸球部に活動期のかいよう2個及び治癒期のかいよう1個が発見された。この発症部位は本件疾病の発症部位とほぼ同一である。同病院では、上記疾病の治療として、抗かいよう剤の投与と食事指導が行われた。その結果、同年3月1日には自覚症状が消失した。その後、上告人は、同年4月25日に胃内視鏡検査の予約をしたが来院せず、更に2回の通院後、同年6月28日以降翌年12月の本件疾病発症に至るまで通院しておらず、医師の処方による抗かいよう剤も服用していなかった。
本件疾病は、上告人のヘリコバクター・ピロリ菌感染を要因の一つとして、上告人の既往症である慢性十二指腸かいようが再発してせん孔に至ったものと推認される。本件疾病の治療を行った3人の医師は、それぞれ、本件疾病について、上告人の海外出張中の業務によるストレスのため、慢性十二指腸かいようが悪化し、せん孔が起こった可能性が高いとの見解を示している。
最高裁の判断
最高裁は、せん孔性十二指腸かいようの発症が、過重労働を原因とするもので、労災と判断しました。
上告人が本件疾病の発症以前にその基礎となり得る素因又は疾患を有していたことは否定し難いが、同基礎疾患等が他に発症因子がなくてもその自然の経過によりせん孔を生ずる寸前にまで進行していたとみることは困難である。そして、本件疾病を発症するに至るまでの上告人の勤務状況は、4日間にわたって本件国内出張をした後、1日おいただけで、外国人社長と共に、有力な取引先である英国会社との取引拡大のために重要な意義を有する本件海外出張に、英国人顧客に同行し、14日間に六つの国と地域を回る過密な日程の下に、12日間にわたり、休日もなく、連日長時間の勤務を続けたというものであったから、これにより上告人には通常の勤務状況に照らして異例に強い精神的及び肉体的な負担が掛かっていたものと考えられる。以上の事実関係によれば、本件各出張は、客観的にみて、特に過重な業務であったということができるところ、本件疾病について、他に確たる発症因子があったことはうかがわれない。そうすると、本件疾病は、上告人の有していた基礎疾患等が本件各出張という特に過重な業務の遂行によりその自然の経過を超えて急激に悪化したことによって発症したものとみるのが相当であり、上告人の業務の遂行と本件疾病の発症との間に相当因果関係の存在を肯定することができる。本件疾病は、労働者災害補償保険法にいう業務上の疾病に当たるというべきである。